社会不適合者である筆者じぇいは、色々な仕事を転々としています。
どこに行っても長続きせず、1年続けば大したもんで、3年続いた職場はいまだにありません。
今回は、ぼくが過去に勤めた職場と、退職した理由を6つ紹介したいと思います。
時系列順に紹介しますが、今回紹介する職場が全てではありません。(全部書くとめちゃくちゃ長くなるので…)
読んでる途中で「長続きしている職場わりとあるじゃねーか」と思うかもしれませんが、今回は、数ある職場のなかでも比較的続いた職場を主に記載しています。
なのでメシウマ的な感覚で読んでもらえれば幸いです。
それではどうぞ!
職場を辞めた理由と在籍期間6選
【飲食店】重すぎる鍋とメニュー暗記で頭がパンク(勤務3日)

大学生1年生の頃、ここで初めて労働というのものを経験しました。
ショッピングモールのフードコートの一角にあるラーメン店です。
この時はまだ職種や業種の向き不向きも分かってなかったので、適当に飲食店を選びましたが…これが間違いでした。
- 中華鍋が重くて持てない
- メニューが覚えられない
- 洗い物が遅すぎる
この頃は実家暮らしだったこともあり、料理や洗い物に関する知識は皆無でした。
非力なうえに要領も悪く、メニューも全く覚えられず怒られっぱなし…
この時点で挫折しました。

3日目にして一方的に退職の電話をし、ガチャ切りしました。
【アパレル倉庫】まとめ役を任され、しんどくなった (勤務2年6ヶ月)

筆者が今後最も多く経験する事になる”物流倉庫”も、この職場で初めて経験することになります。
やる事は単純で、注文が入った商品のピッキングや、入荷された商品の棚入れなど…物覚えが悪い自分でも続けられました。
一部嫌な社員がいましたが、広大な倉庫なので顔を合わせる事はあまりなく、わりとストレスなく勤務できました。
順調に続いてたのですが、現場に入る派遣社員の人数が日に日に多くなり、成り行きでまとめ役を任される事になります。(この時ぼくは直雇用のバイトでした)
ある日「○○さんは決まった作業ばかりやっている!」という主旨のクレームが入り、その事を本人にそれとなく伝えたところ「俺がサボっているようにみえるのか!!!」と大激怒…
完全に自分の伝達ミスではありますが、この時点でぷっつりと辞める衝動に駆られました。
【IT】こんなはずじゃ…求人内容とのギャップ(勤務2ヵ月)

アパレル倉庫を辞めてすぐ、なんとなくパソコンをいじるのが好きだったからという理由でIT業界に転職しました。
入社したのはSESという契約形態の会社で、派遣みたいなものですね。
求人広告の「好きなことが仕事に出来る!」「研修のあとは好きな職場で稼げる!」などの文言を見事に真に受けました。
入社すると最初は事務として客先常駐で働き、業務後に自社に戻ってプログラミングやWebデザインの勉強をし、次の現場はより希望を考慮してもらえる…というものでした。
この客先常駐で初めてオフィスワークを経験するのですが、絶望的にできませんでした。
専用のソフト使用、データ集計、書類整理、電話・メール対応…ぼくにとっては困難を極める業務です。
1日のうち怒られなかった時間はおよそ30分くらいで、メンタルをやられました。

さらにこの会社は帰属意識がとにかく強かったようで、「どれだけ勉強をしているか」と同時に「どれだけ業務後に自社に戻ってきたか」という点を重視していたようです。
派遣先での業務が終わった後、自社にいる時間が長いかどうかで今後の現場もより好条件になる、という実態でした。なので、自宅に帰るのは23時頃になる日も。
自宅が大好きで、一刻も早く家に帰ってプライベート空間でのんびりしたい…
そんな筆者にとって、この職場は苦痛そのものでした。
当初の求人広告や面接で聞いた内容とイメージが大きく異なり、長く続く事はありませんでした。
【オフィス用品の倉庫】「え、これやるの俺?」…リーダー業務(勤務1年)

IT業界ですっかり自信を喪失したじぇい。
他に働ける職種が無い…そんな気持ちで倉庫業に戻りました。
ここでも覚える事はやはり単純で、なんだかんだいって身体を動かすのは好きなぼくはわりと続きました。
梱包業務、ハンドフォークを使って資材を運ぶなど…言われた事を粛々とこなす作業を、半年ほど続けていたある日…

じぇい君、ちょっとやってもらいたいことが~…
なぜかぼくに白羽の矢が立ち、まず梱包チームがミスをした時の対応から始まりました。
次第にトランシーバーを持たされ、人員を管理し、進捗を報告し…

…あれ?リーダーになってる??
志願したわけでもなく、成り行きでいつの間にかリーダー業務をやることになっていました。
まあ、作業員に対して明らかにリーダーやまとめ役の人数が足りなかったですからね…
そして冷暖房がなく過酷な環境だったので、作業員もストレスが溜まっていたのでしょう。
「○○さんは休憩に入るのがはやい!」
「別の作業をやらせて!」
「それ私がやらなきゃいけないの?」
諸々のクレームが自分に直撃し、気づけば顔はニキビだらけでした。

作業員と同じ時給で、なんでリーダー業務をしなきゃならないの…?
優柔不断で人がいい…こんな性格なので、ハッキリいって集団を率いるとか人の上に立つとか、そういうのは本当に向いていないんですよね。
そんな性格もあり、人手不足の中で”リーダーはやりたくありません!”とはなかなか言い出せず、結局その職場を辞める選択をしました。
【製造】ゴム手袋のにおいに耐えられず(勤務1日)

職種は伏せますが、製造業に就きました。
黙々とやる仕事ならできそう…そう思って製造の仕事をやってみることにしました。
使い捨てのゴム手袋を着用し、8時間作業する事になりました。
製造といっても動き回る事は無く、むしろ座りっぱなしで黙々作業…
自分でも想像だにしていませんでしたが、1日中座りっぱなしの作業が思いの外きつかったです。
そして業務後…ハンマーで打ち付けられているかのような激しい頭痛に見舞われました。
アレルギーとかでは無いのですが、おそらくゴム手袋のニオイを長時間嗅いでいたからだと思います。
家に帰っても頭痛は続き、夜中になっても収まらず…
次の日の朝に担当者へ退職の旨のメールをしました。
【電子機器の倉庫】問題がある人物がリーダーとなり…(勤務2年6ヶ月)
またまた倉庫業に戻ったのですが、ここが過去で一番楽しく充実した職場でした。
15人くらいの部署だったのですが良い人たちばかりで、リーダーは性格、スキルともに優れた人格者…人間関係に恵まれていました。
――ただ一人を除いては。
それはチームのサブリーダー(仮名:飯田)です。とにかく性格に問題がありました。
息を吐くように繰り返えされる愚痴や舌打ち、自分のミスには蓋をし、他人のミスは激詰め…
他部署の人が我々の部署に打診されても「飯田さんが嫌で…」と断るほど、客観的に見ても問題がある人物でした。
100点満点では何も言わず、99点だったら「おい、残りの1点はどうした!?なぜこんなことになった!迷惑かけてる自覚あるのか!!」…というイメージが近いでしょうか。
そんな飯田でもリーダーには逆らえず、それ以外のメンバーも本当に良い人ばかりなので、なんとか続けていましたが、事件は起こりました。
リーダーが異動になり、飯田がリーダーとなりました。
朝礼でこの事が発表された瞬間、全員の顔が凍り付いたのが分かりました。
部署は飯田の独壇場となり、ベテランやよく動く人をとにかく馬車馬のように働かせ…それはぼくも例外ではありませんでした。当然、時給は変わりません。
新しい人が入っても、飯田が原因ですぐ辞める…そんな現場の状況に辟易したのか、ベテランがどんどん辞めていき、ぼくもその流れで辞める決意をしました。
この職場は特に思い入れ深く、他にも色々書きたいことはあるので、そのうち個別の記事にしたいと思います。
~社会不適合者じぇいの物語はつづく~
改めて思い返してみると、ほとんどがぼく自身の選択ミスなんですよね。
というのも「あのとき、辞めずにこういう選択をしていれば…」や、事前のリサーチ不足だったりと、書いている今でもそう思えてくるほどです。
しかしぼくという人間は、なかなかそれが難しく人生の選択を誤りがちなんです。
たぶん、これからも間違えまくると思います。
今回は自戒も含めてこういった記事を書きました。反面教師として少しでもお役に立てたなら嬉しいです。
まあ結局、仕事は辞めても人生は続くので…とりあえず次の職場も探してきます。笑